プレスリリース

岸和田城天守復興70周年記念 ~ 岸和田城冬の陣『岸和田城武者行列』&『きしわだ天正楽市』~ 及び岸和田城PR大使任命式のご案内

リリース発行企業:岸和田市観光振興協会

情報提供:

2024年11月、岸和田城は天守復興から70周年を迎えました。メモリアルイヤーである2024年度は、春・夏・秋と年間を通じイベントを実施してまいりました。締めくくりとなる「冬」、岸和田城冬の陣と題し、70年前・昭和29(1954)年の天守復興時に行われたと云われる武者行列を復活! タレント 田村淳さんを大将に、総勢100名の武将隊が、紀州街道を練り歩く『岸和田城武者行列』、 岸和田城二の丸広場では、『天正楽市』を開催いたします。

『岸和田城武者行列』
 舞台は天正12年、蛸地蔵伝説でも知られる岸和田城攻防戦「岸和田合戦」、岸和田城主であった中村一氏(なかむらかずうじ)公を大河ドラマ「功名が辻」で演じた田村淳さんを大将に迎え、一般公募で集まった、こどもたちから、岸和田城天守閣と同じ70歳を迎えた方、国内各地の武将隊まで幅広い参加者で構成された武将たちが、蛸地蔵天性寺から、岸和田城本丸まで、城下町岸和田を練り歩きます。
●日 時  2025年2月24日(月・祝)  天性寺スタート 13時30分 岸和田城到着 14時30分
                   セレモニー等  14時30分~15時


●参加武将隊  名古屋おもてなし武将隊、勢州津高虎隊(戦国武将隊)、甲援隊(戦国武将隊)
        信長隊安土衆(戦国武将隊)、雑賀衆甲冑隊(戦国武将隊)、
        京都・長岡京おもてなし武将隊つつじ
        大阪府内外一般公募の方、こども甲冑隊、古希部隊ほか
●ルート    蛸地蔵天性寺から紀州街道、岸和田城大手門跡など岸和田城廃城前から存在する
        経路を岸和田城本丸まで約1キロにわたり練り歩きます。

田村淳さん
田村 淳さんから
この度は岸和田城武者行列にお声がけ頂きありがとうございます!
過去に大河ドラマで中村一氏役を演じさせて頂いたご縁もあり、今回の歴史あるイベントに参加できることとても光栄に思います。
大将としてイベントが盛り上がるよう、頑張ります。



『きしわだ天正楽市』
 信長公の「楽市・楽座」にあやかり、「きしわだ天正楽市」として岸和田城二の丸広場で、食べる・観る・遊ぶ空間を演出。大阪府内外から集まったお城ファンの心をくすぐる城郭のお城自慢ゾーン、お城にちなんだ体験ブースなどのファンゾーン、岸和田・泉州の地元の食材を使った絶品グルメが味わえるグルメゾーン、舞台パフォーマンスなどのステージイベントも実施します。
●時 間  10時~16時
 
●お城自慢ゾーン  大坂城/大阪城(大阪市)、国史跡飯盛城跡(大東市)、竹田城(兵庫県朝来市)、
          津山城(岡山県津山市)、勝龍寺城(京都府長岡京市)、綾井城跡(高石市)、
          和歌山城(和歌山市)、岡山城(岡山市)

●ファンゾーン   手作り甲冑IKUSAワークショップ、城郭合体オシロボッツ、戦国武将隊、戦国魂
          千糸繍院

●グルメゾーン   岸和田・泉州の地元の銘店、人気店17店舗

●ステージ     出展城郭によるお城自慢、名古屋おもてなし武将隊、戦国武将隊などによる演舞     
          等


【田村淳さん 「岸和田城PR大使」任命式】
岸和田城天守復興70周年記念『岸和田城冬の陣』に出陣いただくことを契機に、田村淳さんに、この度「岸和田城PR大使」に就任いただくことになりました。
田村淳さんは、お城や歴史に造詣が深く、大河ドラマで「中村一氏」を演じられるなど岸和田城にも縁があり、メディアやSNSにも大きな影響力をお持ちなので、岸和田城をPRしていただけることを期待しています。武者行列の入城後、 任命式を岸和田城で行います。 
  時間 14時半~15時    ※終了後、囲み取材を行います

※「岸和田城冬の陣」につきまして、ご多忙中とは存じますが、ぜひご取材いただきたくご案内させて
いただきます。 ご希望の場合、別紙参加書 ご記入のうえお送りください。

リーフレット表


リーフレット中



■岸和田合戦
天正5年(1577)、織田信長による紀州雑賀攻めを皮切りに、本格的な紀州攻めが始まります。岸和田は対紀州の要所にあり、根来衆・雑賀衆と対峙していました。 本能寺の変で信長が倒れ紀州攻めを引き継いだ秀吉は、天正11年(1583)に中村一氏を岸和田城主とし、最前線での和泉防衛を任せます。紀州勢との攻防は徐々に激化していき、天正12年(1584)、小牧・長久手の合戦に出陣した秀吉の大坂不在をついて、約3万もの雑賀・根来の大軍が岸和田城への攻撃を開始(岸和田合戦)。城を守るのは地元の武士を集めたわずか8,000の兵でしたが、一氏は岸和田城を見事守り切りました。(※兵の数は諸説あり)この際、大蛸に乗った法師と数千の蛸が、すさまじい勢いで敵を倒し、城を救ったという伝承があります。数日後、その法師は堀から見つかった傷だらけの地蔵の化身だということがわかり「蛸地蔵」として紀州街道沿いの天性寺にて大切に祀られてきました。
翌年、小牧・長久手の合戦の休戦・講和ののち、秀吉の本隊が岸和田城に入城。約10万もの兵で紀伊国への攻撃を開始します。雑賀・根来の城を次々と攻略し、根来寺を制圧。さらに軍を進めた秀吉は、紀州勢が籠城する太田城を水攻めで落とし、紀南の攻略も進め、ついに紀州攻めを成し遂げました。 (岸和田市市制施行100周年記念誌より一部編集)

■岸和田城
伝承では、建武新政期に楠木正成(楠正成)の一族、和田高家が築いたといわれています。 天正13(1585)年、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、叔父小出秀政を城主とし、秀政によって城郭整備され、天守閣もこの時に築かれました。小出秀政・吉政・吉英、松平(松井)康重・康映をへて寛永 17(1640)年、岡部宣勝が入城(6万石、のち 5 万 3 千石)。以後、明治維新まで岡部氏13 代が岸和田藩を統治しました。
天守閣は文政 10(1827)年に落雷で焼失、維新期には櫓・門など城郭施設を自ら破壊 
 したため、 近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。
現在の天守閣は、工事費 2264 万円(当時)を費やして、内部を図書館として活用する目 的で昭和29 年11 月に竣工。外観は三層の天守閣と二層の小天守閣となっています。本来は 5 層天守で あったことが絵図などで確認されています。城跡は昭和18 年に大阪府指定史跡となりました。 平成19年4月1 日からは、観光施設として岸和田城ウエディングをはじめ、多聞櫓・隅櫓をギャ ラリーや各種イベントに使用するなど、観光振興の拠点として活用しています。 (岸和田市HP より)



【岸和田城天守復興70周年記念事業】
   岸和田市観光振興協会  (担当:阪口、岸村)
   TEL:072-436-0914
    https://kishiwada-castle-70th.jimdosite.com/
    https://kishibura.jp/ 

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