天王寺動物園(大阪市天王寺区)レクチャールームで9月23日、7月30日に老衰で死んだアジアゾウの「春子」(雌、推定年齢66歳)をしのぶ会が開かれた。
アジアゾウの中で国内2番目に高齢だった春子は1950(昭和25)年にタイ王国から来園。当時は戦争の跡が残る大阪で希望の星のような存在だったという。以来64年もの間、同園の人気者だったが、近年は白内障で右目が見えなくなるなど高齢から来る衰えを見せていた。春子が死んだ翌日の7月31日から1カ月間、ゾウ舎前に献花台が設けられ多くの人が別れを告げに訪れた。
当日は整理券が配布され、レクチャールームが満席となる80人の一般入園者が参加。同園で29年間にわたり飼育を担当した小谷さん、来園当時に毎日小学生新聞の公募で名付け親になった関(旧姓・丹川)さん、2年間密着取材したテレビ大阪のプロデューサー人見さんも出席した。生前の様子のドキュメンタリーを上映したほか、最後に春子が好物だったというカシの葉を参加者全員が供えた。
小谷さんは「(今でもゾウ舎で)ときどきあなたの気配を感じます。大阪の復興と未来を背負い、どれだけの人が救われ、勇気を与えたでしょうか。ゾウを見て美人というのはおかしいが、すごい美人でした。ゾウとの関わりを私に教えてくれた。右目の白内障が進行していたにもかかわらず、みんなの前に出てスーパースターぶりを発揮した。あなたの側におれたこと、あなたが私に見させていただいたことは誇りに思う」と別れの言葉を贈った。
関さんは「10歳で春子の背中に乗って当時うれしかったのを覚えています。4月に具合が悪そうと聞いて見に来たら運動場でうろうろしてたので、(例年同園でイベントを開いている)9月の敬老の日に来るからと声を掛けた。春子さんが逝ってしまって悲しくて。テレビで見て泣いた」と涙ながらに語った。
人見さんは「一番忘れられないのは死んだ日の7月30日。春子がお尻を柵に付けて立っているのがやっとの状態でした。それでもお客さんの前に立つのが自分の仕事と思っているように懸命に立ち続けた姿を私は永遠に忘れることができません。天王寺動物園で64年間、私たちに愛され続けた証は番組として放送できた。実際に番組を見たら、プライドの高い春子さんはきっとしんどそうな所ばっかり撮影して恥ずかしいやんかと私に怒っていたと思う。あなたは大阪の誇りです。長らくお疲れさまでした」とメッセージを送った。